いつかどこかの世界
 『ワカヤマール物語』
〜魔女達の休日・はじまりの物語〜

ワカヤマ−ルは大陸の中程にあるとても気持ちの穏やかな国です。
大国オオサカリアとの国境付近にロ−サイ山という高い山があり、そのふもとの村には
このワカヤマ−ルだけだけではなく世界中の誰もが知っているそれはそれは素晴らしい
魔法使いが住んでおります。
人々は敬愛と親しみを込め彼女のことを「北の魔女アイコ−ディア」と呼んでいます。
さて、アイコ−ディアは「リングリング」という魔法を使う良い魔女です。
それは雨を降らせるとか稲を実らせるといったような、目に見えるような魔法ではなく、
人の心に働きかける魔法でした。
「暮らしの助けにもならない魔女なんて」という人もたまには居ますが、
でも、そんなアイコ−ディアに仕事の依頼がちっとも無くならないのは
とても不思議なことだと思いませんか?

アイコ−ディアは言います。
「人も人の心も畑の稲と一緒よ。 日がささないと暗くなり雨が降らなければ乾涸らびる。
根っこの方を良く耕してあげなければ病気になることだってあるし、忘れられれば
枯れてしまう事だってありますもの」
確かに人間も植物や他の動物と同じく自然の営みの一端です。
しかし、この穏やかなワカヤマ−ルの人達ですら、少しずつそれを忘れはじめて
いるのですから世の中油断もすきもありませんね。

ところで、アイコ−デイアの家にはとても大きなリンゴの木があることをご存じですか?
彼女は疲れたりふさぎ込んだりしてこの家を訪れた人に、必ずそのリンゴの種を持たせて帰すのです。
もちろんそれは魔女が渡すリンゴのこと、普通のリンゴでないことはもうおわかりですね。
リンゴは魔法の力を持った、それはそれは不思議なリンゴで、水や肥料を必要としないかわりに
人の話を聞いて育つという特性を持っています。
沢山話しかけ一生懸命世話をすると、リンゴはみるみる枝葉を伸ばし、
そろそろ育て主に話すことが無くなるころ、真っ赤なリンゴが実るといった具合です。
この上もなく美味しそうな色と良い香りに誘われ、育て主が我慢できずに頬張った瞬間、
リンゴの木はその役目を終えたちどころにかき消えてしまうのだそうです。
「あんな美味しいリンゴは生まれてはじめてだった」
「リンゴがあんなに美味しかったなんて、今まで気がつかなかったわ」
人々は晴れ晴れとした顔をあげ、こぞってそう言います。
そのおかげでアイコ−ディアのリンゴの噂は人々の口から口へと伝えられ、
美味しくて心がウキウキするリンゴを食べるため、毎日沢山の人が遠くの村や町から
訪れて来るのです。
このお話は、そんな魔女の家の、こんな一日から始まります。

「アップルパイにアップルジャム・・・アップルシャ−ベット、それにアップルティ−・・・・と」
あたらしい年を明日に控えた魔女の家では、弟子達はすでに休暇をとりそれぞれの家に帰っておりました。
最後に一人残った弟子が作り忘れたものはないかと、ずらり並んだご馳走を点検しております。
その時、「まあまあミ−ヤ・チャン、あなたまだ残っていたのね」
という声が聞こえてきました。
庭でリンゴの木の手入れをしていたアイコ−ディアです。
驚いた様子で家に入ってきたアイコ−ディアは、服に着いた雪をパタパタと払った後、
魔女のトレ−ドマ−クである黒いとんがり帽子をかぶり直そうと頭に手をかけました。
その様子を見たミ−アは「あっ・・・」と小さく声をもらし、固唾を呑んでその様子を見守りました。
いいえ、ミ−アでなくてもココに住む弟子達なら誰だってそうするのです。
それはほんの一瞬、アイコ−ディアが部屋用の帽子に変えるためおつむに何も乗せていないところが
見られるからです。
アイコ−ディアの頭上に輝く金色の花冠。
それはリングリングを使う偉大な魔女の頭上にだけ生えるという、伝説のフラワ−サ−クルなのです。
その中でも黄金色に光り輝くフラワ−サ−クルを持つ魔女は、世界広しといえど
このアイコ−ディアただ一人だけなのです。
美しく輝く野バラの冠は、薄暗い部屋の隅にいるとは思えないほどアイコ−ディアを優しく包み込んでいます。
『本当にこんな美しいものが、リングリングを使わない人達には見えないのか・・・』
ミ−ヤは心の中でつくつぐく残念そうにつぶやきます。
憧れと、そんな立派な魔女の弟子だという満足感でしばし見とれはしますが、何故かミ−ヤは
その後決まって悲しくなるのです。
だって、ミ−ヤ・チャンも見習いとはいえ魔女の端くれ。
なのに彼女の頭上には、たった1輪ぽっちの花が咲いているだけだったからです。
ミ−ヤは触ることの出来ない花に手を伸ばし、クシャクシャとと頭をかきました。
1本きりのミニバラが悲しそうにゆらゆらたゆたいます。
そうこうするうちアイコ−ディアがカゴを下げてミ−ヤのところにやって来ました。
魔女はけして帽子を脱いだままではおりませんので、もうおつむにはしっかり部屋用の帽子が
のせられています。
同じ帽子に見えるので、どれが庭仕事用で、とれが部屋用なのか不思議に思いますが、
それは本人にしかわからない、ひじょうにデリケ−トな違いです。
「おそくまでごくろうさま、そろそろかえって下さいね。 はい、これはお土産」
そういってアイコ−ディアはニコニコ微笑みながらミ−ヤ・チャンの手の上にみごとなリンゴを乗せてくれました。
ミ−ヤは礼を言い、背中の袋にそれを詰め込みました。
ミ−ヤの家は隣村のカダ−ルですからそう遠くはありません。
でも、さすがに暗くなると怖いので早々にお暇を頂くことにしました。
「では、失礼いたします」
ペコリと頭を下げたミ−ヤをみてアイコ−ディアが優しく微笑みます。
「はい、良い年を迎えて下さいね」
その言葉にまたペコリと頭を下げ、最後の弟子も自分の家へと帰っていきました。

さてさて、そうしてやって来た新しい年は、どことなく華やぎ、音もなく過ぎ去った古い年を忘れ去るのに
十分な物語を連れてやって来ました。
弟子達が作った甘い甘い食事をとりながらアイコ−ディアは新年のメ−ルに目を通しております。
ふと、その中の1通に目をとめた彼女は、先に暖炉にたっぷりめの薪を入れると、
わざわざその前に椅子を運び、ゆっくりと腰を降ろします。
手紙の差出人はミ−ヤ・チャンでした。
アイコ−デイアは、魔女の家に来てから一度も自分の家に帰ろうとしなかった弟子が、
今年始めて他の弟子のように家に帰っていったことを気にかけていたのです。
手紙は驚くほど短いものでした。
『言葉はお互いのためにあるのだから、聞いてあげなければ相手が可愛そうです。
でも、言葉になる前の想いは、きちんと言葉にしてあげなければ自分自身が可哀想でした』
アイコ−ディアはその短い手紙を何度も何度も読み返した後、再びテ−ブルに戻ると、
満足そうに1匙焼きリンゴを口に運びました。
あと1週間もすれば、またこの家に見習い魔女達のキラキラした笑い声が溢れます。
アイコ−ディアは魔女暦に目をやり、チョッピリ待ち遠しそうな顔をします。
外は初春とは名ばかりの白い白い銀世界。
でも、誰の心にも少しずつ春が訪れてきているのは、どうやら間違い無さそうです。
足踏みをするようにつま先をチョンチョンと動かし、アイコ−ディアはあと数日、甘〜い食事とともに
北の村で一人静かな休日を過ごすのです。

・・・ところで。
北の村にかえってきたミ−ヤ・チャンは相変わらず頭に咲いた花は一本きりのままでしたが、
その花がほんのり光を放っていたいたそうです。
同じ見習い魔女のタムラ−ヌとミゾウラリアが、やっかみ半分という祝福で
しばらくミ−ヤをチョウチンアンコウ呼ばわりしたのは、チョットお茶目で、ちょっぴり嬉しい余談です。